臆病であること
おはようございます。冒頭のつかみの挨拶が
思いつかない纐纈です。
今日は、NMさんの相談にのっていた時
ふと思い出した、中日ドラゴンズ現役ピッチャーが
肘を怪我され、施術させていただいた時の事。
纐纈 ドラ吉です。 今年は強そう!
(毎年シーズン前は思ってるw)
NMさんにも皆さんにも健やかに生きる意識の一つ
としてご参考になるかもと思った今回の記事です。
「よく、『〇〇に違和感を覚え 途中交代』 って事あるけど、アスリートのそんな状況って、 どれくらいの違和感なんすか?」
って聞いたんです。
応えは、
「僕はちょっとした動きで腰がギシッとなったら、全てのやる気を失う違和感だね」
「ちょっとでもどこか違和感を感じたら、
アスリートは全力でそこに負担をかけないように
守りに入るんじゃないかな」
「普通のアスリートならこれくらいの痛みなら
やっちゃうって人もいるかもしれない。」
「僕は、特に痛みに究極に臆病」
でした。
良い意味で臆病であることは、体を守る最大の武器で、あの歳まで現役を続けられる要因なんですね。
アスリートにとってそういう感覚はとても大事ですし、一般人がふくらはぎが痛いから仕事休みますってなると「はぁ?!」となってしまうんですが、
自分の役割には直結していないかもしれない
けれど、ご家族や大切な仕事が優先で、
自分の違和感をギリギリまで我慢しすぎ
なのかなと心配にもなります。
その要因は、自己犠牲であったり素晴らしい事
でもあるので、頑張って!と応援しています。
時に、深い歪みになり怪我や病気になって
やりたい事ができなくなってくる事もあるので、
気をつけて。
「臆病である事」
「守る事」
「治す事」
は鍛えることよりも時間がかかって大変な分、
臆病な方が良いと思います。
言い換えると敏感な方が良いということです。
臆病な中からちょっとずつ
自分の役割の限界を攻めて、
やれる事増やしてみるのはどうでしょうか。
じゃあ、またね。